毎日毎日生徒と向き合って授業する日々ですが、理想とする授業があります。
とはいえ、そんな授業ができるの月1回あるかないか。
それは、
「生徒同士がライバルであり、仲間でもあり、お互いに学び合える。」という授業です。
具体的には、
ある生徒が自分の意見を言った時に、それに対して、他の生徒が称賛の声を上げる、あるいは質問をなげかける、あるいは改善点を出す。それを通して、生徒同士がお互いをリスペクトする。
そういう授業です。
このような授業を毎回展開できない私自身の不甲斐なさをいつも感じます。
なぜ、そのような生徒同士が学び合う授業ができないかというと、
1. 教師自身の理解が浅いため、生徒の発言から本質につながるところを拾えない
2. 普段の授業から教師が一方的に教えるだけなので、そもそも授業で自分の考えや解法を述べていい場とは思っていない。
3. 塾の雰囲気が、まちがいを許容する雰囲気ではない
4. 塾生同士が打ち解けていないため、発言するのに躊躇する。(意見があっても言わない。)
5. 生徒自身の、その単元への自信がないために発言できない
以上の要因があると思います。
それを日々意識し、成果があるかないかは分からないけど、改善策を実行しています。
例えば、
教師自身が勉強し、言葉の意味や小さな疑問を解決しておく。
発言することに生徒自身が慣れるように、生徒を指名し、話をさせる。
地域や国内、世界でニュースになっていることを話題にし、教師自身の考えを述べ、生徒にもどう思うか聞く。(一律給付金は一律である必要はないと思わない? など)
教師自身の失敗したことを、間違ったことを、挫折したことをよく話す。
違う学校の生徒同士をつなげるために、席の配置を変えてみる。
「たくさん間違えなさい。分からないから塾に来てるんでしょ」とことあるごとに言う。
理想の授業をするためには、普段から自分の考えを言い合える素地を作っていかなければなりません。すぐに成果が出ることはないし、みんなの前で間違えることは絶対嫌だから、当てられても言わないという生徒もいます。
ということで、以上のような改善策を日々実行していたら、
先日、できたんです! 理想とする授業が。
数学の授業で、後半は難しいだろうなと思いながら解かせた問題。
しかし、すべての問題を生徒たちが答えを導き出せました。
全員がすべての問題を解けなくても、誰かひとり分かる人がいたら、その人の考えに耳を傾ける。そういう時間が流れました。
自分が解けない問題を解けた人がいたら、その解法を聞き、仲間に「すごーい」と言い、
「すごい」と言われた生徒はとても嬉しそうで、自信をつけていました。
他の生徒も自分も言ってみようという雰囲気になり、どんどん発言してくれる生徒が増えました。そして感嘆と称賛のため息が教室に溢れました。
「これだよ。こんな授業がしたかったんだよ。」と思いました。
普段からの改善策が効果を表した時期だったのかもしれませんし、生徒にちょうどいい難しさの問題だったのかもしれません。
また、間違った意見を言える生徒がもともと二人いることが大切な要素だと思います。
子どもたちは、たとえ正解でないとしても人の発言は聞きたいと思っているし、その返答がとんちんかんであれば、笑いが生じて場が和やかになります。その間違いを恐れない二人の後に続いて、「間違っているかもしれないけど・・・」と言おうとする生徒が出てきます。
また、間違っていても、他の生徒が自分と同じ間違いをしているということを知ると、子どもたちは嬉しくなり、その生徒に対して親近感を感じるようです。
さらに、間違ったことで脳は正解を導こうとし、そこで学ぶことができます。
ですので、間違いは決して無駄ではありません。むしろ、どんどん解いて間違えた方が効率的かもしれません。まぁ、それを改善していかなきゃ意味はありませんが。
今後は、理想とする授業ができる頻度をますます増やすべく、教師側の教材研究と、塾の雰囲気の涵養に努めていきたいと思います。