昨日の小学校4年生の授業は国語、学習内容は「同音異義語」であった。
子どもたちは少しずつではあるが、漢字のそれぞれの意味から熟語の意味をつかめるようになってきている。昨日も「同音異義語とは?」と聞いたら、
「読み方は同じだけど、意味の違う言葉」との答えが出てきた。そこで「異」の漢字の音読みと訓読みを確認し、「異」が「ことなる」と読むことも同時に確認していく。
”漢字の意味から熟語の意味を推測する”ことを、本を読む子や漢字の苦手でない子なら普通にしている。これができる子は少数派だ。漢字単独のもつ意味が分からないなら、読むことや国語の学習は雲をつかむような、達成感のないものとなるであろう。それを克服させてあげて、読むことが苦ではなく、好きになってほしいと思い、当塾は漢字学習には力を入れている。
さて、授業の話に戻そう。
テキストに沿いながらいろいろな同音異義語を学習した。「辞典」と「事典」、「帰港」と「起工」、「期間」と「機関」などを、生徒たちの知識を持ち寄り、さらに私の説明で捕捉しながら熟語の意味をつかんでいく。
同じ読みだけど意味は違うという日本語の難しいところであり、生徒によっては1つ覚えてもさらに次があることに辟易する子もいるのでは?と思われたが、子どもたちの集中力は最後まで続いた。むしろ、授業のスタートよりも後半にかけて盛り上がった。「おもしろい」という声も上がった。
読みは全く同じなのに、意味は完全に異なる。
特に「事典」と「辞典」は書物が扱う内容によって呼び名が変わることが不思議で意外だったようだ。
学問に対して「おもしろい」と思えること。これは生きていく上であるとよい心持ちだと私は思っている。学問や世の中の現象に対して「おもしろい」と思えると、日常の中で一人ほくそ笑む場面が多くなる。娯楽にはお金がかかるが、日常の中でおもしろポイントがあると課金せずに日々が面白くなるのである。うまくいかないことが多い人生ではあるけれど、このちょっとした楽しみを見つけられる子は絶望はしないんじゃないかと思っている。
昨日は小学校4年生の授業の中で、「おもしろい」という声が聞けたことが嬉しかった。しかしそれは生徒たちが勉強してくれたからではない。勉強に対しての面白がり方を身に着け始めていたからである。 そのような仲間が増えていくことを願っている。